ドイツの思い出 1993年~1994年
今からほぼ30年前、日本から遠く離れたドイツの地で苦楽を共にした方々との思い出をいくつか綴ってみました。
ちょっと断片的ではありますが懐かしんでいただければ幸いです。
私がドイツに赴任したのは1993年5月、145というSUVのGMヨーロッパとの共同開発プログラムのオペルのTDC(開発部門)との協業の窓口として、私自身も初めての海外赴任でした。
当時のリュッセルスハイムオフィスには所長のH園さん、欧州営業のT島さん、部品部のM田さん、産業エンジン営業のI東さん、サービスのO川さん(だったかな・・・お名前失念しました。Y川さんの前任者)、秘書はオッタース女史がおり、オペルTDCにエンジンのI田さん、トランスミッションのI田さんがいらっしゃいました。
開発部門の駐在員はベルギーにデザインのN村さんとM山さん、法規認証のM野さん、英国IBCにI崎さんがいらっしゃいましたが、リュッセルスハイムのアイゼンストラーセのオフィスでは開発系の駐在員は私が最初(で最後)でした。
その後まもなくY川さんが赴任され、M田さんが帰任される1994年7月までの約1年間が、私たち家族にとってはとても楽しく、且つ印象深い期間でした。言わば黄金期とも呼べる時間だったかもしれません。
話が長くなりますので、ご家族ごとの断片的な想い出の切れ端をいくつか記したいと思います。「君」と「さん」が混在していますが、当時の雰囲気そのままですのでご容赦ください。
<Y川家>
- Y川君、着任直後のスペイン出張で貝にあたってダウン。
- Y川君、自慢は人差し指の長さ、ゴールキーパーとしてはとても良いことらしい・・・努力の賜物ではないと思うのですが。
- Y川妻、飲み会の最後の方になるとヤンキーの地が出てきました。
- Y川君(の奥さん)から戴いたニコンのレンズ(の素材)の文鎮、今でも使っています。
- Y川君、英国に異動したY江が後年ドイツに出張した際、夕飯に連れて行ってくれました。ところがハウプトヴァッヘの駐車場が20時で閉まることを知らずに締め出されKバーンで帰宅。
翌日はY君自身の帰任に向けた引越しの日だったのですが・・・奥さん、ご迷惑をお掛けしました。
<I東家>
- I東家、夫婦喧嘩の最中にパンク交換したタイヤを路上に置き忘れる。
- I東君、いつも下痢気味。
- I東君、酔うとメガネがずり落ちました。
- I東君のサインにはひらがなの「た」の字が隠れているという秘密を私は知っています。
- I東君、産業エンジンの拡販で各国を飛び回るがなかなかエンジンは売れず。
ある日、「エンジンの利益(売り上げだったかな)より僕の駐在費の方が高いかもしれない・・・」と真顔で言っていました。
みんな、仕事は大変だったんですよね。 - 後年、スイスのツェルマットの駅前でI東妻&その母に偶然遭遇しました。
<M田家>
- M田さん、会社そばのマツダのカフェテリアで皆(Y江、I東、Y川)で帰りに一杯のつもりが飲み過ぎで二日酔いで休み・・・実は私も休みました。
- M田さんとI東君、ブリュッセル(アントワープ?)でMAESAの接待帰りにコート置き忘れて店員に追いかけられ必死に逃げる。(店員のことを暴漢と勘違い。)
- M田さんの縞縞の変なズボン、クリーニングに出したら巨大化して戻ってきた。
- M田さんの家にS太と自転車で行きました・・・遠いし坂だらけ、辛くてS太が泣きそうに。疲れたのと帰り道の不安で水を頂いたらすぐに帰りました。
- ある週末にM田さんの家で飲み会。Y江宅に置き忘れたワインをK子ちゃんのコルサで取りに戻る途中に出合い頭事故、コルサの前が大破。相手の過失でしたが、警察に行ってレンタカーで帰ったらもう夜だったので飲み会なしで解散。
- M田さん宅での飲み会帰り、日頃からM田さんの庭の手入れに文句を言うドイツ人のベンツのアンテナをI東君、Y川君と酔った勢いで折ってやりました・・・今考えると立派な犯罪ですね。
<H所長>
- Hさん、駐在員を連れてザクセンハウゼンの名物店のツムグラウエンボックでアップルワイン(所長自ら「馬の小便」とおっしゃっていました)とアイシュバインを堪能。
会計時に100マルク札をお出しになって「あとは君たちで足してください。」・・・でもそれってほぼ割り勘ですが。 - Hさん宅で所長手作りの料理(ポトフだったかな)とアクアビット等の珍しいお酒で飲み会。帰り道のハウプトヴァッヘの広場の外気温度計が二桁マイナスでした、寒かったぁ。
- その後捕まえたタクシーで、日本語が通じないドライバーに酔っぱらい全員で大声の日本語で行き先を指示、ドライバーは目を白黒。
最後のケーニッヒシュタインに着いたのはいつ?そもそも無事全員の家に着いたのかな?最初に降りたので結末が分かりません。 - H所長のお供でフランクフルトの日本食屋で某メーカーの接待に同席。
「いすゞさんでも、このように海外の駐在員になられる方はさぞやエリートの方なんでしょうね〜」という問いかけに、「いや、こういうところに来る者は、そいつが居なくなってもその部署が日々の業務に困らないような、まあいびり出されて来たような奴が多いんですよ」と即答。
隣で思わずのけぞりそうになりました。
<オッタース女史>
- オッタース、朝一でコーヒーメーカーの容器に水性肥料を入れて観葉植物に水やり、その後さっと洗っただけでコーヒーを作ります。出勤の遅い人達はその事実を知らず、出来立てのモーニングコーヒーを飲んでいました。
- オッタース、交通違反の切符を切りに来た警官から頼んでもいないのにI東君を庇う、いやM田さんを庇うだったかな?
<昼ご飯>
- 昼ごはんはケーニッヒシュタッッテンのイタ飯屋フランゴが一番多かったですね。日本から出張者がくると夜もよく連れて行きました。
フランゴの内装がリニューアルされて綺麗になったのは僕たちのおかげだと思います。 - 中華ではリュッセルスハイムの川そばのロータス(よく「碧い瞳のエリス」が掛かっていました)、ホテルコロンビアそばの中華(名前失念、、、ラッキーシックスだったかな、二階は怪しい骨董屋)。
どっちもそんなに美味ではなかったんだけど、週に一二度は何故かサンラータンとかチャーハンのような中華が食べたくなるんです。 - ダルムシェテッター通りの方にある韓国料理店は味は良いがとにかくめちゃくちゃ辛い。食べれば風邪気味で詰まった鼻も通るほど。
その辛さのせいで、日本のエンジン設計からの出張者(I東君の仕事がらみの)K山さんのエキゾーストが壊れてホテルから出られなくなる事件がありました。 - リュッセルスハイムで昼ごはんの時は、必ずといっていいほどドイチェバンクに寄ってお金をおろしていましたね。
昼休みの時間をあまり気にするでもなく、のんびりと歩いていきました。同じようにプラプラと歩いている高名なカーデザイナーのオペルの児玉さんによく遭遇しました。
<旅行>
- 赴任後初めての夏の欧州内旅行はI東夫妻とギリシャのエーゲ海クルーズでした。
その後の5年間の赴任期間、家族でヨーロッパの多くの国を訪れましたが、この旅行で訪れたサントリーニ島とミコノス島の絶景が最高だったかもしれません。 - ロドス島の海水浴場で借りたベダルボートで沖に流されそうになって焦りました。
- 最初の冬の旅行はM田一家とカナリア諸島へ。「常夏」だと思ってよく見たら「常春」、泳ぐにはちょっと寒かったですね。
- カナリア諸島のホテルそばの中華、食べたい料理をスペイン語では説明できないので、色鉛筆でチンジャオロースと酢豚の絵を描いて持っていったらバッチリでした。
<おまけ>
- Y江の家族が日本に里帰り中、I東君とY川君を呼んでカツ丼作りに挑戦。
クライネマルクトで良さそうな豚肉を買ってきたのですが、肝心のカツ丼の作り方が分からず全く甘さのないドライなカツ丼ができました・・・でもI東君もY川君も「美味しい!」と言ってくれました。
とてもドライなイエハー(懐かしい!)で流しこみました。
思い出は尽きませんが今回はこんなところで。